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やりがいのあった仕事を辞めた理由

初めて自分の名刺を持った時、ようやく社会人になった気そがしてものすごく嬉しかったのを覚えています。

縫製担当 平田智子

デザイナーとしてのキャリアが上がってきて肩書きを 衣装デザイナー に変更しようかという頃、その日は突然来ました。

 

息ができなくなりました。正確にはうまく息ができなくなったです。

   

深く考えることもせず、コンビニで酸素スプレーを購入して、それを片手に山積みになる仕事をこなしていきました。

スノーボードが趣味だった私。山頂付近で空気が薄くなった時に酸素スプレーを使用しているのを覚えていて、真似をしました。

馬鹿ですねー笑

症状は一向に良くならず、近くにあった小さな病院へ診察を受けに行きましたが、原因はわかりませんでした。

心配してくれた当時の社長が、大学病院に私を連れて行ってくれました。

吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってーなどいくつか呼吸の検査をしました。

しかし、結果はまたもや以上無し。息苦しさはいつまで経っても止まず。

楽観的だった私も、だんだんと心配になってきました。   

すると、また新たな変化が起こりました。

当時地下鉄で通勤していたのですが、電車の中で涙が止まらなくなりました。

一度だけではなく、何度も。

もうわかりますよね。

   

です。

   

と今はすぐに思いますが、当時はうつ病という病気がまだまだ浸透していなかった時代。

鬱だと気づくまでに時間がかかりました。

結局わけのわからないまま、余裕のなくなった私は周りが見えなくなり、職場でもどんどん孤立していきました。

負の連鎖というやつです。

履歴書に穴を開けるなんて許されなかった時代。こそこそと転職先を探して、ドキドキしながら職場の裏にあった駐車場で片応募の電話をしたのを覚えています。

嘘をついて休みをとり、面接を受けに行き、有難い事に転職先はすぐに見つかり、物凄い勝手に退職届を出しました。

 

当時の社長は私が転職先を見つけた事を知る由もなかったので、ものすごく心配してくれて、少し休んでみたら?など色々言ってくれたのですが、もう何もかもいっぱいいっぱいだった私。

転職先見つけたので辞めさせてください。と伝えました。

激怒りです!!!

すぐ扉から出て行って!顔も見たく無い!と言われました。

信じていたから、裏切った私に腹を立てたんですよね。

引き返すつもりがない私は言い訳もせず、ありがとうございます。と伝えて荷物を整理して扉を出ました。

最低ですね。

  

と長くなりましたが、この時点でも自分が鬱だとわかっていませんでした。なんなら、誰にも診断されていないので正確には鬱だったかどうかは今でもわかりません。

なぜ私が鬱だと思ったのか。

「私パニックなの」っと言っている友人がいました。何度も言いますが、まだうつ病が浸透していない時代。

周りの友人も、あの子変なこと言っているんだよね。電車も乗れないんだって!

本当かなー、と。

結構嘘をつく子だったので、皆話半分に聞いていました。

けど、私は彼女に助けられました。

彼女のお陰でパニック障害という病気があるということを知って、調べていくうちに、症状は違うけど私もこの一種なのかもと思えるようになりました。

本人にあった時に、「私もしかしたらパニックかもしれないんだよね。」

「息がうまくできなくてとても苦しいの。」

と伝えたら、「苦しいよね!無理しないでね。」

と彼女に言われた直後、力が抜けて安堵の涙が流れ、すっきりしている自分がいました。

鬱なんだと自覚した初めての瞬間でした。

(その後何度かあるのでそのことについてもいつか書きたいと思います。)

私の場合は環境が変わったことによって、気づけば息苦しさからも改善されていましたが、闇からなかなか抜け出せずにずーっと見えない病と闘っている方はたくさんいます。

頑張っても頑張っても上手くいかなくて、空回って、闇が深くなる一方で簡単には光が見えて来ないんですよね。

でも、ちょっとしたきっかけで突然光が見えてくることもあります。

私は 明けない夜は無い、人生山あり谷あり

と信じています。出来れば谷は避けたいですが。。。

私の体験談が、どなたかの闇を少し照らす事ができたら嬉しいです^^

body of water during golden hour

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